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自分は高齢の地主系大家さんとの付き合いが多いので、「お別れの時を迎えたと」の知らせを受ける事が年に何度もあります。
先日自分の仲間が若くして亡くなった時に、「高齢で亡くなるのは自然な話し」と、若い人が亡くなるよりは割り切れるような事を書いてました。
「天寿をまっとう」とか「大往生」なんて言葉が高齢で亡くなられた方のご遺族へのお悔やみの言葉になるのだと考えてました。
ですが、人が生涯を終える事に対しての感じ方ってのは、自分の感じる思いよりも、亡くなった方の身近な人が感じている思いが大切なのだと学ばせて頂きました。
昨日、いつも出入りしている99歳Aさんの奥様(97歳)が亡くなられたと報告を受けました。
つい先日までお元気だったのに・・・
ご夫婦共に100歳近く、長年連れ添ってきた時間も普通の方より多いと思います。
一番心配なのが、99歳Aさんです。
自分は、管理関係だけでなく、Aさんの歴史まとめをして、かなりの時間Aさん宅で話をしていましたが、必ず奥様も一緒でした。
Aさんと一体の大切な存在だった事は間違いありません。
クマ 「この度は、ご愁傷様です」
Aさん 「おお、クマさん来てくれたのかい」
クマ 「急でしたね・・・」
Aさん 「水曜日に雪が降って気温が下がった関係だと思うんだよ」
クマ 「そうでしたか・・・」
Aさん 「救急車呼んで病院に入院して2日で逝っちゃったんだ」
クマ 「こないだまで元気だったのに・・・」
Aさん 「まぁ 内臓系の病気なんだろうけど97歳だから老衰だよ」
クマ 「確か戦前に結婚されたんですよね?」
Aさん 「昭和15年だから75年も経ったんだねぇ」
ここで、結婚した当時の思い出話が始まりました。
ほんと8月で100歳になるとは思えないくらいの記憶力です。
Aさんは、昭和10年頃に徴兵されて最初の部隊が、226事件に参加させられた絡みで、激戦区ばかりに送られたそうです。
結婚して間もない頃は一緒に過ごしていたそうですが、間もなく太平洋戦争が始まり、南方系の激戦地帯に送られて最後はパプアニューギニアで生存率7%の中、終戦を迎えられました。
Aさん 「天皇陛下がパラオに慰霊に行かれたんだよ」
クマ 「テレビで見ましたよ」
Aさん 「ほんと嬉しくてね、死んでった仲間が喜んでいる声が聞こえるよ」
クマ 「パプアニューギニアとパラオって近いんですか?」
Aさん 「近くは無いけど私はパラオに4ヶ月いて操船訓練やってたんだよ」
クマ 「船の訓練をしてたんですか?」
Aさん 「当時は日本が統治している島だったのと、大きな船が近づけない場所での操船技術を学ぶ場所だったんだ」
クマ 「小さな船で練習したんですね」
Aさん 「小さいって言っても60人乗りだけどね、操長だったよ」
ほんと驚くほど当時の記憶がたくさん出てきて、話がつきません。
クマ 「お線香上げていいですかね・・・」
Aさん 「お〜そうだ、クマさんにお別れに来てもらってきっと喜んでるよ」
奥様は、Aさん宅の和室で眠っていました。
お通夜が火曜日なのですが、まだ棺にいれる前の布団の状態です。
Aさんが、顔に掛けてある布を取って奥さんに語りかけました。
Aさん 「クマさん来てくれたよ〜」
クマ 「今までありがとうございました〜」
生前耳が遠かったからでしょうか、Aさんが大きな声で語りかけたので自分も連られて大きな声を出してしまいましたが・・・
Aさん 「悪いねぇ 忙しいところ来てもらって」
クマ 「いえ、Aさんが落ち込んでると思って心配で・・・」
Aさん 「あとね、こないだの漏水事故の保険会社から入金があったから手続き進めてね」
先日、Aさん所有のマンションで、入居者過失による漏水事故があり、フローリングの張り替えをする事になったのですが、入居者が加入している借家人賠償保険だと、張替費用に追いつかなかったので、Aさんが加入している火災保険から、鑑定人が認定した被害総額の30%を見舞金として出してもらい、工事費用を捻出したものでした。
クマ 「こんな時に細かいこと考えなくて大丈夫ですよ」
Aさん 「そうかい、◯◯さん(入居者)が不自由してるんじゃないかと思って」
クマ 「大丈夫ですよ、私の方で進めてますから心配しないで下さい」
ここまでしっかりしている100歳の大家さんは珍しいを通り越して驚くばかりです。
早く次の世代に引き継いで欲しいですが、息子さん70代なんですよね・・・
これからも長生きして欲しいところです。
ではまた明日
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自分は高齢の地主系大家さんとの付き合いが多いので、「お別れの時を迎えたと」の知らせを受ける事が年に何度もあります。
先日自分の仲間が若くして亡くなった時に、「高齢で亡くなるのは自然な話し」と、若い人が亡くなるよりは割り切れるような事を書いてました。
「天寿をまっとう」とか「大往生」なんて言葉が高齢で亡くなられた方のご遺族へのお悔やみの言葉になるのだと考えてました。
ですが、人が生涯を終える事に対しての感じ方ってのは、自分の感じる思いよりも、亡くなった方の身近な人が感じている思いが大切なのだと学ばせて頂きました。

つい先日までお元気だったのに・・・
ご夫婦共に100歳近く、長年連れ添ってきた時間も普通の方より多いと思います。
一番心配なのが、99歳Aさんです。

Aさんと一体の大切な存在だった事は間違いありません。
クマ 「この度は、ご愁傷様です」
Aさん 「おお、クマさん来てくれたのかい」
クマ 「急でしたね・・・」
Aさん 「水曜日に雪が降って気温が下がった関係だと思うんだよ」
クマ 「そうでしたか・・・」
Aさん 「救急車呼んで病院に入院して2日で逝っちゃったんだ」
クマ 「こないだまで元気だったのに・・・」
Aさん 「まぁ 内臓系の病気なんだろうけど97歳だから老衰だよ」
クマ 「確か戦前に結婚されたんですよね?」
Aさん 「昭和15年だから75年も経ったんだねぇ」
ここで、結婚した当時の思い出話が始まりました。
ほんと8月で100歳になるとは思えないくらいの記憶力です。
Aさんは、昭和10年頃に徴兵されて最初の部隊が、226事件に参加させられた絡みで、激戦区ばかりに送られたそうです。
結婚して間もない頃は一緒に過ごしていたそうですが、間もなく太平洋戦争が始まり、南方系の激戦地帯に送られて最後はパプアニューギニアで生存率7%の中、終戦を迎えられました。
Aさん 「天皇陛下がパラオに慰霊に行かれたんだよ」
クマ 「テレビで見ましたよ」
Aさん 「ほんと嬉しくてね、死んでった仲間が喜んでいる声が聞こえるよ」
クマ 「パプアニューギニアとパラオって近いんですか?」
Aさん 「近くは無いけど私はパラオに4ヶ月いて操船訓練やってたんだよ」
クマ 「船の訓練をしてたんですか?」
Aさん 「当時は日本が統治している島だったのと、大きな船が近づけない場所での操船技術を学ぶ場所だったんだ」
クマ 「小さな船で練習したんですね」
Aさん 「小さいって言っても60人乗りだけどね、操長だったよ」
ほんと驚くほど当時の記憶がたくさん出てきて、話がつきません。
クマ 「お線香上げていいですかね・・・」
Aさん 「お〜そうだ、クマさんにお別れに来てもらってきっと喜んでるよ」
奥様は、Aさん宅の和室で眠っていました。
お通夜が火曜日なのですが、まだ棺にいれる前の布団の状態です。
Aさんが、顔に掛けてある布を取って奥さんに語りかけました。
Aさん 「クマさん来てくれたよ〜」
クマ 「今までありがとうございました〜」
生前耳が遠かったからでしょうか、Aさんが大きな声で語りかけたので自分も連られて大きな声を出してしまいましたが・・・
Aさん 「悪いねぇ 忙しいところ来てもらって」
クマ 「いえ、Aさんが落ち込んでると思って心配で・・・」
Aさん 「あとね、こないだの漏水事故の保険会社から入金があったから手続き進めてね」

クマ 「こんな時に細かいこと考えなくて大丈夫ですよ」
Aさん 「そうかい、◯◯さん(入居者)が不自由してるんじゃないかと思って」
クマ 「大丈夫ですよ、私の方で進めてますから心配しないで下さい」
ここまでしっかりしている100歳の大家さんは珍しいを通り越して驚くばかりです。
早く次の世代に引き継いで欲しいですが、息子さん70代なんですよね・・・
これからも長生きして欲しいところです。
ではまた明日


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Aさんの奥様、御愁傷様です。Aさんがブログに多く登場されていたので、私も突然の悲しいお話に驚きでした。
Aさんもきっと今は気が張ってしまっていると思いますが、体調を崩さないように気をつけてほしいですね。
クマさんもショックが大きいと思いますが、奥様も会いに来てくれて喜んでいると思います。
今日は久しぶりの晴れで、また明日から雨のようですね。お仕事頑張ってください!