水曜日があまりにも濃い内容の一日だった。

その後遺症なのか昨日の木曜日は大人しくしていました。




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パワースポット的な場所に行くと言う事はけっこう昔から社員旅行のついでと言う感じで行っていたのですが、1人で行くようになったのは山登りを趣味にしようと決めた昨年以降からかと思います。

大勢で行くのも悪くはありませんが、2人以上だと自分の内面と向き合う的な感覚にならないので、1人で訪問するのとは別物な旅行気分な感覚を持つものです。


1004自分的には去年、突然思い立って行った御岩山が実に良い感じでした。

40分くらいの山登りも含めての感動だったと思いますので、単純にお参りするだけでは無い満足感の正体がここら辺にあるのでしょう。







その後、霊場と言う言葉にパワースポット的な魅力を感じて恐山永平寺高野山と名だたる霊場に宿泊。

お寺の宿である宿坊は、それぞれ独特の世界があって満足度が高い経験でした。

次に選んだ場所が平安仏教の中心的寺院で後の仏教界に大きな影響を与えた比叡山延暦寺


10046宿坊に泊まってみたかったのですが、多分外国の宿泊客の方が多いのか全然予定が合わず、泊まらないまでも山に登ってしまえば身をもってどんな場所か体験できるであろうと登山することにしたのです。


結果的には「歩きすぎた」&「疲れてお寺の見学は主要部だけ」と言う状態で、簡単に言うと肉体が疲れて心に余裕が無かったと言う感覚でした。










10045これが、山登りだけと思っていれば山頂と目的地への到達で満足、参拝だけと考えたら山頂までバスで登って、多くの仏閣への参拝をしてロープウェイとケーブルカーに乗って下りてきて満足な1日となったことでしょう。


そんな感じだったことから、思いっきり充実して濃い1日だったのになぜかハンパな気持ちが残っています。


この不完全燃焼感の正体は何なのだろう?







数多くのパワースポットに行ってみても満たされることが無いと言うことがわかってしまったのか?


多分、「何かを与えてもらえるかも」と言う期待がある段階では得るものが無く、期待も何も無く「その場所に行っただけで嬉しい」と思えるような状態であれば満足すると言うことなのでしょう。


努力も無く期待するだけでは得るものも無い。

努力しても得られない理不尽さは期待しなければ薄まる。

結局のところ何事においても深く考え過ぎずに自分が良いと感じたことをしていれば満足感が得られる。



そんなことを教わって来たのでは無いかと筋肉痛になりながら考えています。


と、言うことで、定休日が明けて日常生活に戻りますが、仕事上でのいろいろな課題に直面するのも修行みたいなものなのでしょうね。

最後には消えて無くなるのが「人」なのでしょうから、喜びも悲しみも理不尽さもゲームのように楽しめるようになりたいものです。


忘れないうちにブログに書いておきます!



ではまた明日


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